電車は本来安全な場所、しかしどんな人が乗っているのかわからない、という不安や恐怖を感じる場所でもある。
このような不安は「公共空間における不安の可視化」というようなことがネットに書いてあった。私の解釈が正しいかどうかわからないが、何となく公共空間における恐怖というのは理解できる。
昨日(1月23日(金))滅多に行かない東京に行った、その帰路のことである。
東京駅から高崎線に乗った。
大宮駅で湘南新宿ラインの快速に乗り換え、宇都宮に戻るつもりだったのだが、車中でウトウトし、ハッと気づいたところは浦和駅で、思わずそこで降車してしまった。
しかし、浦和で乗り換えればいいだけでその時はまだ余裕があった。浦和で降りたのが16:24、宇都宮行快速は16:32にくるはずだったのだ。
ところが、赤羽駅で埼京線にトラブルが発生したのが16:20頃だったらしい。
それから2時間近く浦和駅に電車が到着することはなかった。
(写真はその記事の一部:17歳の若者がハサミを持って車内を混乱させ、乗客の一部が線路内に逃げ出したことが原因である)
トラブルのおおよその内容と運行が全く止まっている状況は駅内にいる人たちにはきちんと知らされたため、運行再開までにはかなり時間がかかることは理解することができた。
そのため、新幹線に乗らずにうく予定のお金は、駅近くの居酒屋で消費されることになったのだが、寒い中をイライラすることはなかった。
ただ、帰宅が3時間遅れたことと、大宮から宇都宮まで結局新幹線を利用したので、出費が増えたことにはなった。
今回の教訓がひとつ。
年寄りは、すぐ寝てしまうから在来線を乗り継ぐなどというテクニックはやめた方がよい!
公共空間における不安を感じるよりも、年寄りの眠気に対する生理的な欲求は勝るのである、ということ。
